2008年4月13日日曜日

黄順姫、「同窓会の社会学 -学校的身体文化・信頼・ネットワーク-」

黄順姫、「同窓会の社会学 -学校的身体文化・信頼・ネットワーク-」


本書は同窓会を対象とした教育学的・社会学的研究である。同窓会に焦点をあわせて、そこから学校教育の意味をより本質的にとらえることを試みた。同時に、同窓生になることは、その後の人生の人間関係の在り方にどのような影響を及ぼすのかを、テーマにしている。福岡県立修猷館高等学校をケース・スタディとして、ヒアリング調査、定量調査、ネットワーク分析等を行うことにより、同窓会の特性を分析している。
本書における研究としての貢献は大きく2つに分類される。
第一点は、同窓会の相互作用のメカニズムの解明である。本書は、同窓会の研究において再帰的社会学の研究方法を取り入れている。なかでもP・ブルデューの理論に負うところが大きい。同窓生どうしの相互作用による過去の学校教育への再帰的社会化に注目したのである。従来の研究では、現在進行形の相互作用を通した社会化の過程を対象に社会化を行う「過去への社会化」に焦点をあわせた。さらに、過去の学校的記憶は、現在の観点からつくりなおされるものであるため、彼らは常に再構築された過去の学校的実践と表象へ回帰する。そして元教師、先輩・後輩、同期生との相互作用を通して、学校的アイデンティティを維持し、学校的実践の正統化をはかるのである。
第二点は、同窓会をネットワークとして捉えた場合の、特性の分析である。本書は、欧米からの輸入学問としての社会学理論を日本社会の研究に取り入れることを通して、単なる欧米社会学の消費にとどまることなく、日本社会の特徴を浮き彫りにし、説明できる自生的な社会学タームをみつけようとした。たとえば、欧米でつくられたネットワーク閉鎖論と構造的隙間論を、日本の同窓会ネットワークに取り入れて分析をした。西欧のネットワーク論が基本的に個人を単位にしているため、どの理論を使用しても日本の同窓会を十分に説明することができない。日本の同窓会には、日本的集団主義と個人主義が混在し、同窓会ネットワーク自体が、閉鎖性と隙間性のスイッチを切り替えることを通して、ネットワークの形態を流動的に変形する。
すなわち、ネットワーク閉鎖論か構造的隙間論かではなく、「閉鎖・隙間性の転換論」でとらえることで、現実のリアリティをつかむことが容易となる。同窓生個人は、そのネットワークを動員し、選挙運動をする場合は、ネットワーク閉鎖論のいう閉鎖性を全面に押し出し、立候補した同窓生を勝たせるために必死で応援する。しかしながら、彼らは、NGO、ボランティア、趣味のクラブ活動などを行う場合には、自らがネットワークの結節点になり、構造的隙間論でいう媒介者として、同窓会の枠を超えて次々と新たなネットワークと連結し、拡大していく。彼らは同窓会ネットワークのなかで必要な場面に応じて、ネットワークの組織、心性構造を切り替えていくのである。


【論点】

  • メンター三田会の相互作用を活性化する装置としてどのようなものがあるのか。
  • 慶應義塾の卒業生同士の相互作用を活性化する装置としてどのようなものがあるのか。
  • 本書の研究の手法の中で、博士論文に活用できそうなものは何があるのか。
  • この研究の知見は、インキュベーションにおける同窓会ネットワークのデザインにどのように役立つのか。
  • 大学発ベンチャー支援において、同窓会ネットワークはどのような特性を持つのか。
  • 「個人的活用」「社会的影響」「解放」「閉鎖」について、大学発ベンチャー支援の個別項目はどのように分類されるか。もしくはこのマトリックスの新しい指標は何か。
  • メンター三田会は、どのようなメカニズムで社会関係資本が蓄積されているのか。

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